心を打たずにはいられない信念|『最期の、ありがとう。』(冨安徳久著)をオススメする理由

『最期の、ありがとう。』の第三章「命の尊厳に触れる」のなかのエピソードにこんな一節があります。
秋の香りが広がる晴天のなか、葬儀の打ち合わせに向かうシーンです。
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「ご連絡いただきました、冨安でございます」
少し年配の女性が白い前掛けをしたまま現れた。
いつもと同じように、玄関先で名刺を差し出して挨拶を終えると、
通された和室に安置されたご遺体の前に正座し、上着のポケットから数珠を取り出す。
数珠をかけた手を合わせて、深く一礼した。
(最後に、ありがとうが溢れるような葬儀を精一杯、お手伝いさせていただきます)
僕は心のなかでつぶやいた。
広い応接間と和室では、駆けつけた遺族や親族が会している。それぞれ分かれて座る黒い塊。そこには、長い経験から感じ取れる嫌な違和感があった。
(深い悲しみがない・・。何か重い空気が感じられる。惜しまれていない‥)
少しの時間、その空間に踏み込んだだけでわかる。
その場には十七、八名の遺族親族が、重苦しく幾つかの塊に座っていた。
なんとなく悲しみに寄り添う空気が欠けていると感じていた。
深夜に無言の帰宅を迎えたせいか、親族のなかにはあくびをしているものも少なくない。
なぜかすすり泣く声はなく、実の息子たちと思われる男性陣のこわばった表情が少し気になった。
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この部分を読んだだけで、現場の空気感が伝わってくるくらいピリピリした張り詰めた空気感を感じますよね。。
その場にいる一人一人の思いの総和が空気感だと思うのですが、
会社でもお店だけでなく、家族のなかでも日々変わるものです。
そして、葬儀という場面はそのなかでも群を抜いて空気感が現れるものなのだとこの一節を読んで、改めて感じました。
察した方もいると思いますが、重い空気感の理由は「遺産相続」でした。
父親の死ではなく、お金に目がくらむ息子たち。
その迫力に何も言えずに黙り込む遺族たち。
通常であれば逃げ出したくなるような状況ですが、
(最後に、ありがとうが溢れるような葬儀を精一杯、お手伝いさせていただきます)
という信念を貫き、遺族に怒りをぶちまけることを選んだ冨安社長。
争う親族に対して、涙ながらに叫び訴える言葉に、
心を打たずにはいられない信念が込められています。
その時の思いを冨安社長は最後にこう語っています。
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仕事としてではあるが、死を見つめ続け、その死の現場で個人の想いや家族の想いを目の当たりにしてきた一人の人間として知った命の尊さ、生と死のつながりとでも言おうか。
それらの真理に触れてしまった僕には、たとえ会社組織の中の一員であっても、人間としての自分を止めることができなかった。
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確固とした信念、人として曲げられない想いが生む奇跡。
ぜひこのエピソードを本書でお読みいただければ幸いです。
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